SNOW JOB....SNOW SURF.

窯工事再開しました

工房では何回目かの、窯工事が続いています。
今回の工事でしっかり治す予定でしたが、治しきれないことが発覚。分解してみたら、パーツ交換が必要な可能性が濃厚になりました。もっとクリアに言えば、最初に替えるべきだったパーツを「大丈夫、どうにかなる」とダマシダマシやってきましたが、「やっぱり交換しないとダメだった」という事実をようやく受け入れるに至りました。

あの手この手で穴を塞がず、もっと早くに「あきらめ」て、交換するべきだったように感じます。工場でやるべきだった作業を工房でやる事はとても時間がかかり、作業もしにくいでしょう。パン焼きだって休まざるを得ません。だれも得しないSNOW JOBの弊害が未だに続いています。毎週楽しみにして下さっているお客さまにも、窯騒動でご迷惑をかけており本当に申し訳なく思っています。
SNOW JOB 雪仕事だったらよかったのに。。。


バキュームとコンプレッサーと特殊道具が占有する平日の窯前

今週末の不安と今後

今後、第二次工事として窯の部品を作成して交換する予定ですが、今回の第一次工事は今週前半までかかる見込みです。そこから養生を外して、工房の掃除。

つまり、製粉が間に合わなそうです。
そして、酵母も思うように継げません。
もしかしたら今週末(23土)のパン焼きが出来ないかもしれません。

でも何とか、どうにか、焼けないかと考え中です。
結果的にどうなるかはツイッターで必ず告知致します。 
ご不便をお掛けしており本当に申し訳ございません。
出来る限りを尽くします。

窯の中身が3段とも取り出され、トラックで運ばれました。

窯の中身が取り出され、大部分が養生された今、工房に居ても何も仕事が出来ず、このストレスのぶつけどころも見つけられず、なんとか酵母だけは継いで脱出したのは「山」。たった数分間の滑走のためにその数十倍の時間を道具を担いで登りに費やす遊びです。

ひと時のくつろぎ、小さな幸せ、一瞬のピーク、少しの贅沢。どの言葉の後ろにも、そのために必要な多くの時間が隠れています。

パクッとたべるパンを作るのに、狭い工房でも窯以外の作業スペースがこれくらい必要です。いまは工事中で養生されていて、作業台も見えませんが。。。 夕方から片付けてどこまで作業が進められるでしょうか。


全自動のホームベーカリーの機械がこれだけ売れているのも、パン作りが場所と時間のかかる面倒な仕事だからでしょう。ドライイーストをつかっても、なかなかの時間が必要です。そして、ホームベーカリーの焼き立てパンを食べるために費やす時間は、その工程に費やされた時間に比べれば一瞬です。パンに限らず、ビールもワインも、栽培からカウントしたら、飲み込むのなんて圧倒的な一瞬です。一瞬のための長期戦。それは多くの料理にも共通して言える事実です。

ブラボーな一瞬のために


時間をかけて美しく斬新に盛り付けされたアユの一皿。ドン・ブラボー(国領)

水草に隠れているアユの尾びれがわずかに見える、そんな自然界の景色を彷彿とさせます。マスカット、ケール、ハーブ、カブ、緑一色の食材の下に鮎。勿体無いけれど、3口で終わってしまう「食べるアート」。苦手な食材の変更にも対応しながら、美しい景色を表現するプロの技遊び。この度、平シェフの協力を頂いて新しい食材が入手できる見込みです。手に入った時には実験的なパンを焼いてみたいと思っています。酵母から培養することも視野に入れる中期的な実験だけれど完成したら一瞬でパクッとなくなるパン。だからこそ斬新でなくとも、奇抜でなくとも、記憶に残るパンを焼いてみたいと思います。

想いがカタチになる?
なーんてことを言えば一見もっともらしくてカッコイイですが、想いを込めたって形にならない日はあります。転びたくないところで転ぶことだってよくあります。むしろ「想いを込めたのにカタチにならなかった」という体験をしていない人など居ないでしょう。苦い体験を何度もしているというのに、また試そうとするのは生物の性。向上心とも言えそうだし、忘れっぽいともいえそうです。

想いを込める動機の最たるは「期待」ではないかと思うのですが、いずれにしても「カタチになるのなら想いを込める」という発想だけは似て非なるものだと思っています。それは回収できるなら投資する、という姿勢と似ています。悪いことではないけれど、そもそもそんな都合の良い約束などまずありません。小麦の栽培だって、回収を前提に種まきしてくれていますが、期待を大きく下回って収穫できないこともザラのようです。特に自然栽培は、確実な回収を期待して手を出すものではないでしょう。結局のところ、人間が望もうが望むまいが、期待して裏切られることの連続が技術や忍耐力や精神力そして人間力を向上させてくれている事は間違いなさそうです。

どうパンを焼こうかと考える時、なるべく安全なルートで完成につなげようとするものです。それはとても大事な事ですが、それだけでは冒険からしか生まれない新しさに永遠と手が届きません。ゲストパンや新しい食材を使う事で冒険心がサビ付かないように注意しているつもりですが、自分のことは意外と分からないものです。パンからパワーが抜け出したら、そっと、教えてください。そして冒険が濃すぎたら、そっと叱ってください。従業員の居ない1人パン屋を支えてくれているのは、紛れもなくお客さん一人一人の存在だけです。

思い出の質
時間を惜しまず、手間を惜しまず、想いも込めて求めているつもりだけれど、結果が得られない事だってあります。窯がなかなか直らなかったり、納得の出来るパンが焼けなかったり、良い食材に出会えなかったり。あるいは山のピークに到達できなかったり、美しい斜面に出会えなかったり、天候に恵まれなかったり。それを「努力が足りなかった」と言われればそれまで。想いが足りなかったと言われても、それまで。でもガッカリすることは無い様に思います。だってそれはそれで、その時込めた「想いのカタチ」です。

想いのカタチ。。。
これってもしかすると、「思い出」を意味するでしょうか。悔しさも悲しさも大きな喜びさえもいつかは思い出になる時が来るものですが、思い出の質は想いの深さによって必ず違ってくるものです。困ったことに良質で豊かな思い出ほど時としてトラウマに化ける事があります。でもそれはきっと、それだけ深く過ごした証でしょう。窯工事が思い出になってくれる日まで、あとどれくらいモガクのでしょうか。良質な思い出になるように、トラウマになるくらい深く過ごしたいと思います。窯の上の天井だって、まだ貼れていませんし、まだまだ弱れません。と、そんなこと言いながら自分に言い聞かせていますが、実際にトラウマになって凹んだら、その時はそっと励ましてください、。

野遊びの心


リフトの無い鉄柱だけが残る斜面

「期待したほどの雪ではなかった。」
でもそれは板を履いたまま谷に飛び込んで初めてわかる事でした。かんじきから板に履き替えたスタート地点からは滑り降りる斜面が全く見えませんでした。したがって、滑り出して谷に落ちだしてから、ようやくそこの雪質がわかる。あれ、ちがう?固い?深くない?むしろ浅い?そんなことを考えている余裕も時間もないからこそ、飛び込んだ瞬間からが人それぞれの個性が爆発する数秒間。新雪が浅いかも!と感じてからすぐに負けじと大げさに攻めて、突然のコブに飛ばされた思い出です。 

子供の様に、とか、大人げなく、とか、そんな表現が褒め言葉にちょうど合うでしょうか。それとも大人っていうのは、色々と余計なものを身にまとい過ぎているだけで、脱げばいつでも「子どもの様」を持っているのでしょうか。いずれにしてもそんな状態に近づくこと、そんな自分に気が付くことが、野遊びのいいところだと思っています。あえて難しく言うならば、興奮しながら集中すること。工房ではいつもそうでありたいと思っています。

時間比の式)登り:滑走=40:1
そうか、じゃあ40年に比べれば1年なんて一瞬かぁ。などと極力思い込んで、もう少し工事に時間を許す気持ちを持てるようにしないと、と思いました。3月も中旬を過ぎたと言うのにまだ降る雪。たくましく生きる野ウサギのかわいらしい足跡に癒されながらふと、かわいがっている酵母の状態が気にかかる山登り。

板を背負ってカンジキ履いて酵母を思い出す

帰ってきてすぐ酵母継ぎ。しかし工事で製粉は出来ず、工房は養生だらけ。明日も夜まで窯工事。。。パンが焼けないならまた山にでも逃げようか、それとも焼けるようにどうにか攻めて飛ばされようか・・・量を減らせば出来るかな、フォルコンだけなら焼けるかも、、、素直な気持ちに従えるなら、コブに飛ばされてでもパン焼きがしたい心境です。

工事が終了してからだとどう計算しても製粉が間に合わないので、全面養生しながらやってみます。麦の残量が見えず、聞き慣れない色々な工事音が混在している工房内。麦が挽かれる音も上手く聞き取れず、粉の香りを頼りに慎重にじっくりと製粉してみます。

自然栽培BIOノア5Rの養生製粉

コメント

  1. 一瞬のために、魂を込める。パンをいただくと、身体が、あったかくなります。気が、しっかりと整うようです。おもいのたくさん詰まったパン、これからも、本当に楽しみです。ここの

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