ノスタルジーとモダーン

日々雑感
先週で休業から1か月が経過し、折り返し地点を迎えての40日目。
工房から離れて過ごしていればまた違うのかもしれませんが、日々、工房で工事ばかりしていると、1か月もパンが焼けないことにどうしてもストレスを感じてしまいます。自分のパンが焼けない今の時期は他店のパンを頂いて楽しみながら、自分の生地に求める理想のイメージを整理整頓しつつ、パンについてあれこれ想いを馳せています。

パンと酵母の話し

湿度、気温、雲と風からも、すっかり秋を実感できるこの頃、夏の蒸し暑さに疲れた我々と同様に、酵母にとっても嬉しい季節となります。ブドウ、ナシ、リンゴ、イチジク、アケビにみかんと、それぞれの果実は酵母を呼び込み、熟成によって甘味は増していきます。糖が好きな酵母にとって、実りの季節は嬉しい季節です。自家培養で酵母を増やす際、糖の多い果物をエサにするのはこのためで、代表的な例では「レーズン酵母」があげられます。生のブドウはエサとして高価ですが、ドライレーズンなら比較的安価で非常に甘く(糖が多い)、保存もできるので人間にとって好都合なのが理由です。完成した「酵母液」にはレーズンの糖が自然に溶け出しているので非常に甘く、美味で飲んでも美味しいほどです。

パンの甘みの正体

この酵母液をパンに使えば間接的に果糖が入るので「砂糖不使用」でも生地が甘くなります。これを「麦の甘味」「お粉の旨み」などと表現することは大きな間違いなのですが、実際は非常に多く混同されています。現代のパン、それも日本のパン生地に感じられる甘味のほぼ100%、とは言わずとも、99%程は材料として添加された砂糖や副材料。ゴクゴクまれに、果物をエサにして作った酵母液由来の果糖であることは、美味しさを楽しむためにも知っておくべき事実です。この果糖入り酵母液を作る際にも、より早く確実に培養する為に砂糖を加えるレシピもあるので、「レーズン酵母100%」でも、そこに砂糖が添加されている可能性は低くありません。果物の甘さと思っていても、砂糖の要素が強い場合もあり、こればかりはシェフとの会話を通して違いを楽しむ領域です。砂糖の添加がワルイと言いたいのでは決してありません。パンを食べる時、甘みの正体を探るあそびを、是非楽しんでもらいたいと思っています。甘みと旨みの違いもまた、探る遊びの対象です。

エサの違いは個性を変える

糖が大切な酵母培養において、たいして甘くない小麦粉をエサとする手法はパワー(発酵力)と培養速度ともに弱く、どの行程においても時間がかかってしまいます。レーズン酵母が「エサを混ぜる」のに対して、小麦の酵母は「生地をこねる」必要がでてきて労力も数倍です。しかしここも「どっちの酵母が美味しいか」を探る意味はありません。作り手はそれぞれの酵母のエサの違い、個性の違い、育ちの違いがパンの風味に影響することを知る必要があります。つまり、風味をどのようにコントロールしたいかによって、酵母の選択や育て方が変わってくるはずです。そもそも酵母臭はエサの臭いに由来します。エサで風味が変わるのは当然なのです。

小麦をエサに酵母を育てる理由

ベースべ―カリーはご存じの通り「麦をエサに与えて育てた野生酵母」だけを使っていて、果実由来の酵母は育てていません。麦の品種ごとに見た目がまるで同じ無骨なパンを並べて売るような、まさに「麦のうまみ」を追求する場合には、そこに果糖も砂糖も無要と考えているからです。酵母の違いを楽しむパンも面白いのですが、これだけスゴイ麦を農家さんから譲ってもらえている今、楽しむべきは「麦」そのものが持っている可能性ではないか、と考えています。引き出すべきは、まだ体験したことの無いほどの旨みであり香りだからこそ「良い小麦粉をつかおう」ではなく、「良い小麦から粉を挽こう」となるわけで、販売日を減らしてでも自家製粉を選んでいます。「良い香り」と鮮度は、切っても切れない関係にあるようです。

「選ぶ努力」がうまくする

パンの説明に「レーズン酵母(or 天然酵母)を使用し」と書いてあると、天然酵母パンだと思う人が大勢います。事実、大勢が勘違いをしています。なぜってその説明書には「ドライイースト未使用」とは書かれていません。市販イーストを入れるからには、エサの砂糖も入ることが多く、油脂も入っているかもしれません。ここで詳細は割愛しますが、最も多く使われているドライイーストには食品添加物も混ぜられています。消費者がイメージする天然酵母パンとは異なるパンを、意図せずに食べている可能性は極めて多いのです。※景品表示法と天然酵母という言葉の問題点については今回は割愛します。

大事なことはレーズン酵母をちょっとだけ「添加」したパンを楽しみたいのか、レーズン酵母だけで焼かれた油脂も砂糖も添加されていないパンを楽しみたいのかを、「選ぶこと」です。どんなパンを食べてみたいのか?パン生地に興味がある人ならば是非とも積極的に材料について、酵母について製造者に質問してみましょう!とは言っても、ゆっくり質問しながら選べるパン屋などそうそうありませんね。回答を待たされたり、不穏な空気になったりと、実際には質問しにくい雰囲気もあるけれど、本来買うものを選ぶことは当たり前な事です。買う側が「選ぶ努力」を怠れば、作る側に都合の良いパンばかり増えかねません。また、消費者が騙されやすい表示が横行することにもつながりかねません。「選ぶ努力」こそはパンの、延いてはパン屋の質を上げることに繋がる素晴らしいパワーなのですから質問の遠慮は禁物。是非とも積極的に選んでもらいたいものです。

今週の本題



「窯」の再生が着実に進んでいます。
最初の投稿「2ヶ月休業って何するの?」でお伝えしましたが、窯の核心部であるバーナー(上の画像の右下)だけはそのまま使えると信じていましたが、ダメでした。あらゆる部品の故障、あらゆる場所の錆び、そして核心部の全交換。期待していたよりも大分大変な状態にあるこの窯は、全力のケアと愛情と期待を浴びながら大手術に挑んでいます。もう部品すら手に入らず、運転が危険すぎると判断したスウェーデン製のそれを慎重に取り外しました。
 もうとっくに製造自体が終了されている古式バーナーはいかにも丈夫そうで、頑強なつくりです。大きくでゴツくてコードが何本も繋がっているそれは、感情移入もあいまって大事な心臓に見えました。電気オーブンと違ってこれ一つで窯の全体に熱を供給している部品ですから、役目としても人のそれと同じです。どこでどのようなパンを焼いていたのでしょうか。数十年という長い歳月の情報が一切、何も無い窯。心からのお疲れ様を伝えました。



かつて圧倒的な火力を供給していたと思われる火口も、ご覧の通り結構な太さです。
現行のバーナーの中からこの窯に使えそうなものを探したところ、日本では見つからず、ドイツで見つかりました。実物も見れないまま輸入という長旅の幕開けです。バーナーが到着しても工房工事が終らなければ設置できないので、到着をのんびり待つことにしました。その間に錆びを落としたり、塗装を施したり、腐食が進んで穴の開いたパイプや部品を作り直したり、断熱材を交換したり、やるべき事を進めていきます。2週前の記事「九龍城砦的石窯全貌」で触れた通り、この窯の大きな特徴の一つは大量の蒸気を発生させることです。蒸気という、良いパンが焼ける大切な要素が裏目となり錆を深刻なものにさせているようで、ほぼ全体に及ぶ錆び落としと再塗装は地道を極めます。美味しいパンを焼き続けた疲労は大きいようです。

ノスタルジーとモダーン

ご近所の迷惑にならない十分な広さの土地で、もくもくと煙突から煙を上げながら薪をくべて、ガスも電気も使わず、石を積み重ねた窯でパンを焼く。そういうノスタルジックな原風景と引き換えに、機械による効率の良い、時間に正確な現代製パンが成り立っています。(うちは全く正確ではありませんが、。)いまこれだけの時間を頂いてベースベーカリーが手にしようとしている環境は決してノスタルジックなものではありません。かなり異端であることは認めますが、それでも天然ガスと電気エネルギーに支えられた現代製パンの域を大きくは脱しません。過去の見習うべき手間と智恵を適切に解釈し、現代の設備へ応用し、現代小麦と平成を飛び交う現代酵母で丁寧な仕事を心がければ、昔に勝るとも劣らない美味しいパンが焼けるはずです。焼きたいのは古き良き日の「あの頃のパン」ではなく、それより美味しく進化した「モダーンなパン」です。

モダンパンの醍醐味
冷蔵庫や冷凍庫に頼らずに暮らしていた時代の豊かな側面は見習うべきものがあります。しかし、パンの中・長期保存を強い酸味によって可能にしていた時代の味は、現代人のニーズとは異なるでしょう。冷凍保存が出来る時代にわざわざ酸味の強いパンを食べることもまた「新たなニーズ」であり、純粋な古典回帰とは性質の違うものです。いわゆる工業的な現代製パンとは一線を画した上で、古き良きものに習いながら、冷蔵庫や電動機械の恩恵にも預かりながら「あの時代にはたどり着けなかった」未来的な美味しさを見つけていく楽しさは”モダンパン”の醍醐味ではないかと考えています。

昔はかつてのモダン
ところで「古き良き」とか「昔」などと勝手な言い方をしてきましたが、現代からすれば「むかしのパン」も、当時はきっと"モダンパン"だったはずです。「おいしさ」などという曖昧な分野こそ常に柔軟性をもって楽しく探求するべきで「かつてのモダン」を現在の目標に設定することは本末転倒です。

今も昔も探究心がうまくする
先人たちが焼いてきたパンが探究心の賜物であったことは、遺跡や資料から容易に読み取れます。パンは加工品であるからこそ、技術と知恵の更新に応えるように進化し続けています。守りすぎず、壊しすぎず、時にはノスタルジックな骨董機械の力をも存分に借りながら、次の美味しさにたどり着けたら、と思っています。美味しいパンを作る為に大事なことは今も昔も変わらず作り手の「探究心」なのは間違いありません。そして、探究心をも支えてくれるかけがえのない力が、皆さんの、消費者の、「選ぶ努力」であるという事実も、改めて付け加えておかないといけないでしょう。「選ぶ努力」とは結局のところ消費者側の「探究心」なのですから。

コメント