「境目」の破壊と再生

日々雑感
休業してから26日が経過しました。
8月最後の週になってようやく、内壁の解体に着手しました。
「造るのは大変で、壊すのは簡単」ともいうけれど、、、壊すの、すごく大変でした。
小さな工房に大きな窯を迎えるべく、強度を確保した上で仕切り壁の撤去や柱の移設をしました。ガス管がとんでもない位置に出現したりと想定外も多々。頭の中もいっぱいになって余裕も無くなってきたので、国立博物館「縄文展」へ行ってきました。これまでに縄文に関する本を何十冊と手に取ってきた縄文好きにとっては嬉しい機会でした。「1万5千年以上前に1万年間以上も続いた」っていう1つの事実だけでもビックリ仰天の時代です。

実はここ調布市にも縄文遺跡があって最大のピアス(土製耳飾)が出土しているんです。イアリングではなくピアスなのは、耳たぶに穴を開けてハメていたとされているから。その紋様をパンに刻む挑戦を、ほぼ毎日、数か月続けて挫折した数年前。「簡単に見えて、至極複雑」おまけに厚みを利用した深い曲線の彫刻美(透かし彫り)は、フリーハンドでほぼシンメトリー。到底、僕の技術では再現し得なかったのです。パンは装飾を施した後で窯でさらに膨らんでしまうので、非常に困難でした。

ところで、縄文中期の遺跡からは「パンのようなもの」が見つかっています。(さすがに展示されていませんでしたが)きっと無発酵(実際は不明)でしょうから、膨らまないパンで再挑戦してみるのも面白いかもしれません。パンの表面に縄紋様がつくということは、土器並みに固いパンになる事は間違いなさそうで、ようやく成功したときに食べてくれる人がいなそうですが。。。

兎にも角にも食料がすこぶる豊か。ゆえに農耕に頼る必要がなく、狩猟・漁猟・採集だけで定住に移行。多くの民族は農耕をきっかけとして定住に以降しているので、縄文人は異例です。多くを争わず、穏やかで美を愛し、自然と共存し、祭りを好み、役割を分担するムラ(村)を形成した縄文時代は、世界の歴史の中で最も長く続いた時代です。そんな彼らへの憧れとオマージュからの「縄文カンパーニュ」。
いつか完成させたいと、密かに想いつづけているロマンのパンです。


今週の本題

土器、土偶を見た日の午後から、工房に戻って「捏ねて、練って、塗る作業」を繰り返しています。石臼置き場の壁工事が終わり、仕上の段階。(あくまでも石臼置き場だけの話です)そもそも重たい石臼など動かしたくなかったのですが、窯を迎えるためのスペースの事情で、石臼を移動することになりました。そのための先々週の「パン焼きをあきらめる瞬間~石臼解体~」でした。

工程としては、壁を壊し、その壁で仕切られている向こうの部屋の一部を、工房に取り込み、そこに石臼を設置する作業です。つまり、床面積を増やす作業となります。作業工程を皆さんの想像力と創造力で映像化してみてください。

では行きます!
まず、バールとハンマー、丸ノコと手ノコを駆使して既存の壁をガンガン壊しました。そしたら邪魔な位置に「柱」と「筋交い」と「ガス管」が出てきました。。。「柱」と「筋交い」は強度に関わるので切り取ることは出来ず、邪魔にならない位置に新しく新設。柱を据付け、筋交いを入れなおし、ガス管も端に移動しました。



とんでもない量のガラ(ゴミ)が出ました。ここからが本番だというのに、早くもバテバテです。


構造上の諸事情により取り壊した壁の向こうに昔の外壁が出てくる仕様なので、丈夫な外壁も豪快に壊し、ようやく向こう側の部屋に到着。必要なスペースをもらって新しい壁を作り、強化ボードを張り、ひたすらビスを打ち作業。今日は壁にペンキを塗るための下地作りの日で「粉パテ」をこねて塗装下地の3回目を塗っている真っ最中。


その道のプロなら半分の時間で、倍のクオリティーで仕上げるのでしょう。とても恥ずかしい写真です。

パテ作業は壁の段差、ネジの凹みなどを埋めて、きれいな平面を作るために必要な作業です。「下地」なんていう言い方をしますが、別に下地をつくらなくてもペンキは塗れます。仕上がりを問わなければ時短は出来るわけですが、どこまでやるかという問題がここでも出てきます。早くパンを焼くために極力無駄な工程は避けたいですが、石臼置き場は一日に何時間も向き合う場所で自分にとって神聖な場所なので自分の手で「丁寧」を心がけました。

壁を壊すとか柱を建てるという仕事に比べてパテ作業はとても地味。構造に支障をきたすことも無い見た目だけの問題で仕上がりの質を妥協すれば手の抜きようはいくらでもあるのですが、こういう作業はかえって没頭させるなにかがある様でもっとやっていたい程心地の良い作業でした。目の前でどんどんと材料が変化していく様子が、脳に複雑な刺激とある種の興奮を同時に与えているような感覚。小麦粉に水を足して手でひたすら捏ね続けたら徐々に生地になっていくという、しばらくご無沙汰のあの感覚を呼び起こされてしまいました。ちなみにパテは時間が経つと乾燥してしまうので、残ると棄てることになります。もったいないのでいくらでも見つかる現場の隙間を見つけてはムダに埋めてしまうほど、なぜかクセになる作業でした。

縄文中期の土器の表面には「ゾーンに入っていなければ不可能だ」と思えるほどの無数の複雑な文様が、根気よく、数百・千本の粘土ヒモの貼り付けで表現されています。捏ねる、形作る、乾燥を待つ(焼きを待つ)というパテ作業は偶然にも土器ともパンともわずかに共通していて、どうもこの辺りに「好き」な理由があるような気がしてきました。

土器とパン

土器とパン。突拍子も無い2つに感じる共通点は「変化」にあって、色も、大きさも、重さも、質感も、食感(触感)も、香りも、役割までもが変わるほどの変化です。長いパンの歴史の中で膨らんでいない時代がほとんどを占めるのですが、ある日突然として「酵母菌の住処」になったことで偶然に膨らみ、その驚異的な変化に「神」を視たことで神聖な食べ物となりました。焼けば硬くなって叩いた音までも変わることに何も不思議を感じない現代人ですが、火にすらも畏怖を感じていた昔の人々が土を焼いたことで得た「変化のショック」は計り知れないものがあっただろうと想像できます。人間は「驚き」を新鮮なまま記憶にとどめておくことが苦手な様で、もしも得意であったなら時代の移り変わる速度はもっと緩やかに進んでいたでしょう。

つまり「忘れる」という極めて重要な能力によってのみしか乗り越えられない問題があるという事なのでしょう。慣れてしまえば当たり前になり、今度はその当たり前を疑いたくなるのが世の常で、昨今のビオブーム(残念ながらブームほどではないですが)もそのルーティーンの範疇。大量生産に成功した!という感動と感謝を忘れることで大量生産前の体制に目が向くのも事実で、「慣れる」という感覚には「忘れる」という能力が多分に関わっていることは、どうも確かな様に感じられます。

「新しい」という感覚もまた「忘れる」能力に支えられている感動であって、その証拠に「新たらしい○○」と呼ばれているほぼ全ては、一度は飽きられた古いスタイルだったりします。技術が進歩しているために、ツールこそ変化していますが、ミラーボールがレーザービームになったからといって、表現方法そのものが「新しい」とは到底言えません。それこそベースベーカリーのパンでさえ「新しいパン」と言えば大嘘で、かといって「昔ながらのパン」と言えば、間違いです。酵母菌について既に充分な知識を得ている現代人が、品種改良されている現代小麦の全粒粉を用いて、昔とはだいぶ違う現代環境に浮遊している野生酵母で作るパンが、ベースベーカリーのパンです。それが「昔ながら」なのか「新しい」のかは「どこを切り取るか」という問題であって、正解の無い禅問答のようなものです。

「昔ながらなのか新しいのか」が重要なのではなくて、対する二つの解釈の間にある「自由な境目」の存在に気が付けるかどうか、そしてそこを「楽しめるかどうか」こそが人間力で、もっと言えば生命力かもしれません。

土→土器、粉→パン。

形も役割も変化するその「境目」に神を視たり、新しさを感じたり、あるいは疑いや改良の余地を見てきたのは古代人も現代人も同じようです。今からたった50年ほど前、赤瀬川源平という芸術家が平面と立体の「境目」に挑みました。二次元と三次元の境目への果敢な挑戦でした。壁に掛けられたキャンバスに油絵の具を盛り付け、どんどんと絵の具を重ねて絵の具だけで突起物を作り、とうとうその突起物を伸ばしに伸ばして展示室の床とつなげてしまいました。さて、こうなるともう絵画(二次元)なのか立体造形(三次元)なのか分からない代物です。前衛芸術として大変ユーモラスでシニカル。新しい挑戦と評された試みでしたが、もしも縄文人がその作品を見に来たらなんと言うでしょう。

「あ~ずいぶんと古いね、土偶を通して既に試みたよ。それも一万年前にね」と言うかもしれない。
「むしろ6次元まで考えたから、あの世とこの世の境目を表現した作品もわんさかあるよ」なんてね。

これもまた、祭りの道具と芸術作品の「境目」。

境目は理解するものでも獲得するものでもなくて自由に楽しむものであってほしい、と想っています。ベースベーカリーに通ってくださっていたお客様にも、この機会に色々なお店のパンを食べて頂いて、あのパンとこのパンの境目で見つかった「楽しみ」について是非聞かせてもらいたいです。

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